なかなか休職日記

適応障害で求職中。休職期間の過ごし方がわからない。なかなかうまくいかない

体調が悪い

喉がとても痛い。軟口蓋のところだけ痛い。ちょっと倦怠感がある気もするが、これは体調不良ゆえかいつものやつなのかわからない。

熱は全然ない。要は喉が腫れているだけだろう。それでも、すごく体調悪い感が出てしまって、とても苦痛だ。自分は苦痛に敏感すぎるのかもしれない。不便な性質だと思う。すごく。

何もやる気が起きない。体調が悪いので寝ていても苦痛がおさまるわけではなく、むしろひどくなる。こういう時は思い切って外に出たほうがいいと思い、外に出たが、何をしたいわけでもない。

自己弁護できない

今日ふと、他人から責められて、「いや自分だけが悪いわけじゃないのに」と思った時、自己弁護しようとしてとてもしんどい気持ちになることに気づいた。

100%自分が悪い時の方がまだ、単に落ち込むだけマシなのだが、自己弁護したいのにすごくしんどい気持ちになってできない、というのがつらい。なんでしんどくなるのかはわからない。

自己弁護すると、相手から反論が来る。それに再反論するとか考えると、ずっとやり取りする気力体力がもたない。とても悲しくなって、もう自分が悪いということでいいからいますぐこのやり取りをやめたいという気持ちになる。

自分を弁護することに、なぜかすごく体力、というか、気持ちのエネルギーが必要だ。なんでなんだろう。何度かやり取りするうちにわかってくれることもあるかもしれないのに、そこまでエネルギーがもたない。

仕事に戻れる気がしない

自分のしていた仕事は大した仕事ではない。体力仕事ではないし、リモートワークで自宅でダラダラしているだけだ。ただ、コミュニケーションが多く、それによって気持ちが徐々にすり減っていたのだろう。まだ全然我慢できる範囲だと思っていたら、割と呆気なく決壊してしまった。

コミュニケーションを取らなければいけない仕事は、今の自分にはきつい。ほとんどの仕事が、多少なりともコミュニケーションを要求するとしたら、自分は仕事そのものがしんどい状態だ。

コミュニケーションがしんどい。話している時は楽しい気がしても、後から振り返ると胸が焼けるような不快感がある。ちょっとした言葉のズレや、理解の齟齬、そもそも自分が言葉を発していること、その言葉遣いや口調、発声、ニュアンス、すべてがしんどい。透明な存在になりたいと思う。鏡のほうがいいかもしれない。相手の発言を受けることもしんどいし、自分がなにか言わねばならない(言ってしまう)のも、とにかくしんどい。自分が、鏡のように、ただ映し返すだけの存在だったら、いくらか楽になれる気がする。

布団にいて、なにもしたくない時

自分は活発なほうではないので、少し疲れるとあらゆる気力が失せる。布団に伏せりたくなり、そうするといよいよ何もする気がなくなる。それっきり何時間もそのままだったり、寝落ちして時間と生活リズムをふいにしたりする。

ただ、この過ごし方が心地よいかというと、決してそうではない。自責とまでは言わずとも、時間を無駄にした感覚になるし、気持ちも特に休まらない。ただ、強い力でそうした行動しか取れなくなるだけだ。だから、もし自らを布団から引き剥がす力があれば、メンタルが弱っていてもそうするようにはしている。心地よい過ごし方は別のところにあることも多い。それでもだめなら戻ってくればいいし。

何をしたら、自分を大事にしたことになるのか

最近家の掃除をして、家がきれいになることはこんなに気分がいいんだ、と驚いた。自分はモノが散らかっているのに無頓着なタイプだと思っていた。

メンタル系の記事を読むと、自分を大事にしたほうがいいとか、自分を甘やかすぐらいでいいとかよく書いてある。休職に際して、何をしたら、と考えた時に、美味しいものはよく食べ飲みするぐらいしか思いつかなかった。それも、ラーメンや甘いものを喰らうのは、はっきり言って自傷行為のほうに近い気もする。大事にしているのか定かではない。

場としては、カフェに行くととりあえず自分を大事にした気になれる。でも、そこで落ち着かなく過ごしていたら結局同じことだ。そこにいてどんな気持ちになるかに注意を払うことも、自分を大事にすることのひとつなんだろう。ということで、今日もカフェに来て甘いものを食べ飲みしてみているが、どうだろうか。

 

自分の場合、自分に注意を向けすぎるのも、かえって自分を大事にできないようで、というのも、過度に批判的な自分が内側にいたりするので、散歩やバスに乗るというような、ぼーっとした行動のほうがいいのかもしれない。

休職5ヶ月と16日目 寝不足

妻もよく眠れないらしく、自分は働いていないのでせめて、と思って夜中まで寝るのに付き合ったが、結局眠れなかったらしく、ゴソゴソや部屋の出入りで自分もあまりよく眠れなかった。

休職5ヶ月と11日目 心地よさを引き続き探す

仕事をしていた時と比べると贅沢な時間の使い方をしていると思うのに、なぜ心が休まらないのだろう。心地よさを感じられる条件を探しているが、いまだにあまりうまく見つけられていない。

自分がしたいことをしていればいい、というものでもない。寝たい時に寝て、スマホでショート動画を見ながらゴロゴロして過ごすのは、短期的に見ればやりたいことかもしれないが、心地よいわけではない。心が回復する感じが得られない。

カウンセリングは心地よいわけではない。自分の内面と向き合う時間なのだが、その行為が心地よいわけでもない。どちらかというとしんどい。

散歩は心地よいが、体力がなかったり天候が厳しかったりするとやはり辛い。最近やっと暑さも落ち着いてくれそうなので、散歩は有力な選択肢だ。ただし、そう長い時間続けられるものでもないし、やはり生産性がないような気がしてしまって、そこも気になる。

生産性といっても、サービス作りや作曲が心地よいわけでもない。サービス作りはひたすら時間に追われるような感覚になるし、作曲は手探りの作業で、人生をかけてやるべきだとは思うがやたら疲れる。

こうして文章を書いているのはそんなに悪い気はしない。自分の中に何か溜まりすぎているのかもしれない。散歩なり、こうして文章にするなりで排出しないと、重たすぎて、それで居心地が悪いというのはありそうだ。

今少しだけ心地よさを感じられているので、特に必要もなくダラダラと書き続けるが、最近考えているのは、他人の怒りや不機嫌に対して、自分があらゆる手段を尽くしてサポートする必要はないのかもしれない、ということだ。

特に、直接怒られると、次回からはこういうことをしないように、というメッセージとして受け取ってしまい、その怒りが刹那的だったり理不尽だったりしても、いや、その方が却って、対処の難しさに思考がホワイトアウトしてしまう。でも、相手はただ怒りたいから怒っていたり、不快だから不機嫌になっていたりするだけで、そこまでは求めていなかったりもする、ということに気づいた。だから、こちらがホワイトアウトしていると不思議そうな顔をするのだ。

自分の中で、どこまでが自分のすべきことなのか、線引きが難しい。あらゆることをして相手のご機嫌を取る(という表現をあえて使うが)ことはできるので、これまでの自分はそうしてしまっていた。怒られた時に、自分の内面にリソースを割くということを全然してこなかった。だから、ダイレクトにダメージを受けていた部分はあるのかもしれない。

とはいえ、自分の内面に何をしてあげたらいいかもわからないし、そのリソース配分がどれくらいが適切なのかもわからない。とにかく今はリソースが0なので、増やす必要はありそうだが。

このあたりで思考がぐるぐるしてしまい、これ以上先に進まない。自分の苦しみを受け取ってほしいから、他人の苦しみを受け取ることで、その応酬を期待している節もある。だが、これまでの人生でそれが得られたことがあるようには感じない。

あぁ、傷病手当の書類を出さないと。